《お盆について 第1話》【七夕とお盆は、実はつながっている?】~前編~

お盆

――「たなばた」の名前と、施餓鬼旗・短冊の不思議――


七夕といえば、織姫と彦星。
一年に一度、七月七日の夜だけ、天の川を渡って二人が会うことができる――。
子どもの頃から誰もが知っている、とても有名な物語です。
ところで、こんなことを考えたことはないでしょうか。
「なぜ、七月七日なのでしょう?」
なぜこの日だけ、普段は決して会うことのできない二人が会えるのでしょう。
もちろん、「そういう昔話なのだから」と言ってしまえば、それまでです。
しかし、僧侶として長年お盆の供養を勤めてきた私には、どうしても気になることがあります。
それは、
「七夕のすぐ後には、お盆がやってくる」
ということです。


【七夕とお盆は、もともと同じ「七月」の行事でした】
現在では、七夕は7月7日、お盆は8月13日から15日頃という地域が多くなっています。
そのため、私たちは七夕とお盆を、少し離れた別々の夏の行事として考えています。
しかし、昔はそうではありませんでした。
明治時代に現在の暦が採用される以前、日本では現在とは異なる暦が使われていました。
現在、私たちが使っている暦を「新暦」、それ以前の暦を一般に「旧暦」と呼んでいます。
厳密には旧暦とは太陰太陽暦と呼ばれる暦で、月の満ち欠けを基本としながら、季節とのずれを調整していました。
そのため、旧暦の日付と現在のカレンダーの日付は、そのまま一致するわけではありません。
現在でも、お盆を7月に行う地域と8月に行う地域がありますが、これも明治時代の改暦以降、各地で旧来の行事をどの時期に行うかが分かれていったことと関係しています。
さて、昔の暦では、
七夕は七月七日。
そしてお盆は七月十三日から十五日頃。
わずか数日しか離れていません。
しかも日本各地には、七月七日を「七日盆」と呼び、この頃からお墓を掃除したり、仏具を磨いたり、お盆の準備を始めたりする習俗がありました。
つまり七夕は、お盆とまったく関係のない日ではありませんでした。
むしろ、お盆の入口ともいえる日だったのです。
そう考えてみると、
「七夕の夜だけ、普段は会えない二人が会える」
という物語が、少し違って見えてきませんか。

【「たなばた」という名前も不思議です】
そもそも「七夕」と書いて、なぜ「たなばた」と読むのでしょう。
よく考えてみれば、とても不思議な読み方です。
七夕の由来については、中国から伝わった牽牛と織女の伝説、日本古来の信仰、機織りに関係する行事など、さまざまなものが重なって現在の形になったと考えられています。
「たなばた」という言葉についても諸説があります。
その中で、僧侶である私が個人的に大変興味深く感じている説があります。
それが、
「棚に幡を立てる――棚幡(たなばた)」
という考え方です。
昔は七月七日の夕べに、戸外の縁側などに精霊棚を設け、お盆にお迎えするご先祖さまや、祀る人のない無縁の霊、そして飢えに苦しむ餓鬼などを供養する習俗がありました。
その棚に、供養のための幡――施餓鬼旗を立てる。
棚に、幡。
「棚幡」。
これが「たなばた」の由来ではないか、という説です。
もちろん、七夕の語源にはほかにも説がありますので、これが唯一の正解だと断定することはできません。
けれども私は、この説を知った時、
「なるほど、これは自然な話だな」
と思いました。
なぜなら、お盆の供養とは、本来、自分の家のご先祖さまだけをお迎えするものではないからです。
仏教には、自分と縁のある者だけではなく、縁のない者、祀る者のない霊、そして餓鬼道にあって苦しむ者にも供養を施すという考え方があります。
お盆の時期に行われる施餓鬼供養にも、その精神を見ることができます。

【施餓鬼旗と七夕の短冊は、よく似ています】
そして、もう一つ。
施餓鬼旗をよくご存じない方は、その姿を思い浮かべてみてください。
細長く切った色とりどりの紙に文字を書き、供養のために掲げます。
何かに似ていると思いませんか。
そうです。
七夕の短冊です。
色とりどりの細長い紙に文字を書き、それを飾る。
施餓鬼旗と七夕の短冊は、見た目にもよく似ています。
ここからは、私の想像です。
七月七日、お盆を迎える準備として施餓鬼旗を作る。
その時、余った色紙があった。
その紙に、それぞれの願いを書いて飾った人がいたのではないか。
それが、いつしか七夕の短冊へとつながっていったのではないか――。
そんなことを私は想像します。
もちろん、これを短冊の起源として証明する史料があるという話ではありません。
七夕に願い事を書く習俗には、乞巧奠(きっこうでん)をはじめとする別の歴史的な流れがあります。
ですから、これはあくまでも私の想像にすぎません。
しかし、
七月七日という日。
お盆の入口にあたる時期。
精霊棚。
そこに立てられる色とりどりの施餓鬼旗。
そして、色とりどりの短冊。
こうして並べてみると、まったく無関係なものだろうか、と考えてみたくなるのです。
七月七日の夕べ。
これから始まるお盆を前に棚を設け、幡を立て、目に見えない存在に供養を施す。
そして、その傍らには人々の願いが書かれた色紙が風に揺れていた――。
そんな昔の光景を想像すると、私はそこに、死者への供養と、生きている人々の願いが同じ場所に存在していたような、不思議なつながりを感じます。
では、もう一つ。
七夕とお盆には、さらに不思議な共通点があります。
なぜ織姫と彦星は、一年に一度だけ会えるのでしょう。
もしかすると七月とは、昔の人々にとって
「普段は会えない者同士が、再び出会うことのできる季節」
だったのではないでしょうか。
この続きを、後編で考えてみたいと思います。

※この記事は、民俗学や仏教に関する諸説・伝承も参考にしながら、住職としての考察を交えて執筆しています。語源や由来には複数の説があり、本記事はその一つの見方をご紹介するものです。

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