《お盆について 第2話》 【七夕とお盆は、実はつながっている?】~後編~ ― 一年に一度、「会えない人に会える季節」の話 ―

お盆

前編では、七夕とお盆が、もともとは同じ旧暦七月の中にあったこと。
七月七日は「七日盆」とも呼ばれ、お盆の準備を始める日でもあったこと。
そして、「棚に幡を立てる」ことから「棚幡(たなばた)」になったという説や、施餓鬼旗と七夕の短冊がよく似ているという不思議についてお話ししました。
ここから先は、学問的な結論ではありません。
民俗学や仏教を学び、長年お盆のお勤めを続けてきた一人の僧侶として、私自身が感じていることを書いてみたいと思います。


【普段は隔てられている二つの世界がつながる季節?】
七夕の物語では、織姫と彦星は天の川によって隔てられています。
普段は会うことができません。
ところが七月七日の夜だけは、その境界を越えて会うことができます。
一方、お盆もまた、普段は会えない者同士が再び会えるとされている季節です。
亡くなった人と、生きている人。
ご先祖さまと、今を生きる私たち。
普段は別々の世界にいる者が、一年のある時期だけ再び会うことができる。
そう考えると、私は七夕の物語とお盆の間に、どこか共通するものを感じます。
もしかすると昔の人々にとって七月とは、
「普段は隔てられている二つの世界がつながる季節」
だったのではないでしょうか。
だから、天の川によって隔てられた二人も、この季節には会うことができる。
ご先祖さまたちも、この季節には私たちのもとへ帰ってきてくださる。
もちろん、
「織姫と彦星がお盆だから会える」
という説があるわけではありません。
これはあくまでも私自身の想像です。
しかし、七夕とお盆を一つの季節の流れとして眺めてみると、
「七夕は、会えない者同士が再会する夜」
「お盆は、会えなくなった者と再び出会う季節」
この二つの行事が、どこか遠いところでつながっているように感じられるのです。

【世界中にある「死者が帰ってくる日」】
ところで、
「一年のある時期に、死者の世界と人間の世界がつながる」
という考え方は、日本だけのものではありません。
世界各地に、よく似た考え方があります。
有名なのは、メキシコの「死者の日」です。
亡くなった家族や親しい人々の魂が帰ってくると考えられ、花やろうそく、写真、故人が好きだった食べ物などを供えて迎えます。
「なんだか、お盆に似ているな」
と思う方も多いのではないでしょうか。
インドにも祖先を供養する期間があり、子孫が祖先のために食物や水を供えます。
日本のお盆の源流の一つも、このような祖先供養の思想にあると考えられています。
また、中国や台湾などにも、旧暦七月を中心として、死者や霊の世界と人間の世界がつながると考える習俗があります。
ご先祖さまだけではなく、祀る人のいない霊や、さまよう霊にも食べ物などを供えるところは、日本のお盆や施餓鬼供養とも共通しており、日本の習俗はこれらを色濃く受け継いだものと言えるかもしれません。
ヨーロッパでは、古代ケルトのサウィンという祭りで、この世と異界との境界が曖昧になる時期があると考えられていたといわれます。
現在のハロウィーンにつながる源流の一つです。
もちろん、これらの行事は宗教も歴史も違います。
すべてを「世界のお盆」と一括りにすることはできません。
それでも私は不思議に思います。
海を隔てた遠い国々で、異なる文化を築いてきた人々が、
「一年のある時期、死者の世界と私たちの世界がつながる」
という考え方を持っているのです。
そして多くの場合、そこには食べ物があり、灯りがあり、花があり、家族が集まります。
文化や宗教が違っても、人間がすることは不思議なほど似ています。


【なぜ人は「帰ってくる日」を作ったのでしょう】
なぜ世界中の人々は、このような行事を作ったのでしょう。
私は学者ではありませんから、その答えを知っているわけではありません。
ただ、一人の僧侶として多くの方の死と、そのご家族の悲しみに接してきて思うことがあります。
人は、大切な人が亡くなったからといって、すぐにその人との関係を終わらせることはできません。
姿が見えなくなっても、
「今頃どうしているだろう」
と思います。
好きだった食べ物を見ると思い出し、
何か良いことがあれば、
「生きていたら喜んでくれただろうな」
と思います。
人と人との縁は、死によって簡単に消えてしまうものではありません。
だから人間は、
「一年に一度でもいいから、帰ってきてほしい」
「もう一度、会いたい」
そう願ったのではないでしょうか。
その願いが、それぞれの国や宗教、文化の中で、さまざまな行事になったのかもしれません。

【会うことと、送ること】
日本のお盆では、ご先祖さまをお迎えします。
迎え火を焚き、灯りをともし、食べ物を供え、手を合わせます。
しかし、お盆には必ず終わりがあります。
最後には、送り火を焚いてお送りします。
せっかく帰ってきてくださったのだから、ずっといてもらえばいいのに。
子どもの頃、そんなことを考えた人もいるかもしれません。
けれども、
迎えることと、送ること。
会うことと、別れること。
その両方があるからこそ、お盆という行事には意味があるのではないでしょうか。
大切な人は、もう以前と同じ姿では帰ってきません。
それでも忘れない。
食べ物を供え、手を合わせ、思い出を語る。
そうして私たちは、亡くなった人との縁を保ちながら、今の人生を生きていくのだと思います。
【七夕の夜に、少しだけお盆のことを】
今年の七夕は過ぎましたが、八月七日に七夕を行う地域もありますし、旧暦の七夕(令和8年は8月19日)も、まだこれからです。
七夕の日には街中で笹飾りが並び、子どもたちは短冊に願い事を書きます。
そんな時、少しだけ思い出してみてください。
昔の七夕は、今のように願い事をするだけの日ではなかったのかもしれません。
昔の七月七日は、お盆の始まりを感じる日でもありました。
棚を設け、幡を立て、ご先祖さまだけではなく、祀る人のない霊や餓鬼にまで供養を施していました。
そして夜空では、普段は会うことのできない織姫と彦星が、一年に一度の再会を果たします。
地上では、やがてご先祖さまを迎える準備が始まります。
天の川の向こうでも。
私たちの目には見えない世界でも。
七月は、
「会えない人に、もう一度会う季節」
だったのかもしれません。
七夕とお盆。
現代では別々の行事と思われがちですが、その奥には、
「離れていても、縁はなくならない。」
「今は会えなくても、あなたのことを忘れてはいない。」
そんな人間の変わらない願いが、今も静かに流れているように、私には感じられます。

七夕の短冊に願いを書くことも、お盆のお仏壇や精霊棚の前で手を合わせることも。
形は違っていても、その根底には「大切な人を思う心」が流れているのかもしれません。
大切な人が幸せでありますように。
遠く離れた人と、また会えますように。
そして、もう会えなくなった大切な人にも、この思いが届きますように。
だからこそ、七夕とお盆は、今も私たちの心の中で静かにつながっているのでしょう。
合掌

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