夕陽から彼岸へ、そして彼岸へ向かうということ
春のお彼岸、秋のお彼岸。
私たちは、お彼岸になるとお墓参りをし、仏壇に花やお供え物を供え、亡き人やご先祖さまに手を合わせます。
けれども、お彼岸とは、単に「お墓参りをする時期」というだけではありません。
「彼岸」という言葉には、仏教そのものに関わる深い意味があります。
今回は、お彼岸について少し詳しく考えてみたいと思います。
第1話
日本人は、なぜ春分・秋分の夕陽に仏を見たのか
――お彼岸は、なぜこの季節にあるのでしょう
春のお彼岸、秋のお彼岸。
「お彼岸だから、お墓参りをする」
私たちは、ごく当たり前のようにそう考えています。
けれども、少し立ち止まって考えてみると、不思議な風習でもあります。
なぜ日本では、春分の日と秋分の日を中心に、一週間を「彼岸」として特別に過ごすのでしょうか。
そして、なぜ春分・秋分のころの「夕陽」が、昔から仏さまと深く結びついてきたのでしょうか。
今回は、
「日本人は、なぜ春分・秋分の夕陽に仏を見たのか」
というところから、お彼岸について少し考えてみたいと思います。
「彼岸」とは、そもそも何なのか
「彼岸」という言葉は、仏教の「波羅蜜多(はらみった)」と深く関係しています。
波羅蜜多(パーラミター)は、一般には「彼岸に到ること」、つまり「到彼岸」と説明されます。
こちら側を「此岸(しがん)」、向こう側を「彼岸(ひがん)」とします。
此岸とは、迷いや苦しみの中にある私たちの世界。
彼岸とは、迷いを超え、智慧と悟りの世界へ到った境地です。
そして、その彼岸へ向かうための実践として説かれるのが「六波羅蜜」です。
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧。
つまり、お彼岸とは本来、
「ご先祖さまをお参りする一週間」
というだけのものではありません。
私たち自身が、迷いの世界から智慧の世界へ向かって歩いていくことを、改めて意識する期間
ともいえるのです。
なぜ春分と秋分なのか
では、なぜその「彼岸」が、春分と秋分のころに行われるのでしょうか。
春分の日と秋分の日には、太陽はほぼ真東から昇り、ほぼ真西に沈みます。
そして、日本の仏教文化の中で、この「西に沈む太陽」が重要な意味を持つようになりました。
西方には、阿弥陀如来の浄土である「西方極楽浄土」があると説かれてきたからです。
夕方、西の空に沈んでいく太陽を見る。
その先に、阿弥陀さまの浄土を思う。
そこには、単なる「方角」の問題を超えた、深い宗教的な想像力が働いています。
「夕陽を見る」ことが修行になる
『観無量寿経』には「日想観」という修行が説かれています。
西に沈む太陽を観想し、その光景を手がかりとして、西方極楽浄土を思い描いていく観法です。
『観無量寿経』では、これを十六観の最初の観法として説いています。
つまり、
夕陽を見ることが、そのまま仏の世界を思う修行になった
わけです。
美しい夕陽を見て、
「きれいだな」
と思う。
その同じ夕陽を見て、
「この西の彼方に、阿弥陀さまの浄土がある」
と感じる。
自然の風景そのものが、信仰の入口になっていくのです。
これは、とても興味深いことではないでしょうか。
大阪・四天王寺の西門と夕陽
大阪の四天王寺には、古くから夕陽と西方浄土を結びつける信仰があります。
四天王寺の西門にある石鳥居は、古来より「極楽の東門」にあたると信じられてきました。
現在でも四天王寺では、彼岸の中日に石鳥居の向こうに沈む夕陽を拝み、極楽浄土を観想する「日想観」が行われています。
大阪に住んでいる私たちにとっては、これは決して遠い話ではありません。
「夕陽丘」という地名にも、こうした夕陽と西方浄土をめぐる信仰の記憶が残っています。
では、お彼岸はいつから始まったのでしょう
ここから、少し歴史を見てみましょう。
実は、「お彼岸はいつ始まったのか」という問いに、簡単に一つの答えを出すことはできません。
806年(大同元年)の『日本後紀』には、崇道天皇のため、諸国の国分寺の僧に春秋の二仲月、それぞれ七日間、金剛般若経を読誦させるよう命じた記録があります。
これは「彼岸会」という名称で記されたものではありません。
しかし、春と秋に七日間の仏教行事を行うという、後の彼岸につながる非常に古い記録です。
したがって、
「806年に現在のお彼岸が始まった」
と単純に言うことはできません。
むしろ、
春秋に七日間、仏教の修行や祈願を行う習慣が、長い年月の中で後の彼岸会へと展開していった
と考えるほうが適切でしょう。
夕陽を眺めてみてください
こうして見ていくと、お彼岸という行事は、単にカレンダーに書かれた「お墓参りの日」ではないことが分かります。
春と秋。
季節が大きく変わる節目。
太陽が西へ沈む季節の中で、その夕陽に仏さまの世界を思う。
そして、自分自身もまた「彼岸」へ向かって歩いていく。
そんな様々な意味が、長い年月をかけて重なっていったのです。
ですから、今年のお彼岸には、ぜひ一度、夕陽を眺めてみてください。
特別なことをする必要はありません。
西の空に沈んでいく太陽を、ほんの少し眺めてみる。
そして、
「昔の人も、この夕陽を見て仏さまを思ったのだろうか」
そんなことを考えてみるだけでもよいのです。
その夕陽の向こう側に、昔の人々が見ていた「彼岸」の世界が、少しだけ身近に感じられるかもしれません。


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