お盆のお参りでは、私は次のようなお経や真言をお唱えしています。
帰敬文、発菩提心真言、三昧耶戒真言、七仏通誡偈、四智梵語讃、百字の偈、佛讃、般若心経、諸真言、御法号、回向文、そして最後に祈願をお唱えします。なお、ここでは初盆のお経については省略致します。また8月の早い時期のお参りでは『仏説盂蘭盆経』もお唱えするなど、その時々により読経の内容は変えさせていただいております。
「般若心経は知ってるけど、四智梵語讃や佛讃て何?なぜお唱えするの?」
と思われる方も多いかもしれません。
もちろん般若心経も大切なお経ですが、実際のお盆でお唱えするお経は、それだけではありません。
では、なぜこれだけのお経や真言をお唱えするのでしょうか。
このお勤めには、決まった一つの形があるわけではありません
最初にお伝えしておきたいことがあります。
ここでご紹介するお経の組み合わせが、「真言宗のお盆のお勤めは必ずこの形でなければならない」というものではありません。
私自身、長年僧侶としてお盆のお参りを勤める中で、
「限られた時間の中で、どのようなお経をお唱えするのがよいだろう」
と考え、いろいろなお勤めを試してきました。
お盆期間中の読経時間はどうしても限られてしまいます。それに、ご家族がお仕事の合間に待ってくださっていたり、小さなお子さんが一緒だったり、暑い中でのお参りだったりもします。
そのため、あまり長いお勤めをすることはできません。
しかし、だからといって、ただ短くすればよいとも思いません。
短い時間であっても、
「真言宗のお坊さんがお盆のお参りに来て、お経を読んで帰った」
だけではなく、
「仏さまの教えに触れ、ご先祖さまや故人を思い、自分自身も仏さまの道を歩む時間」
にしたい。
そう考えて、長年さまざまなお経をお唱えしながら、少しずつ現在の形に整えてきました。
ここでご紹介するものは、現在、私が8月11日から15日のお盆のお参りでお唱えしているお経です。
限られた時間の中でも、真言密教の教えとご供養の心をできるだけお届けできるように、私自身が考えて組み合わせているものです。
本来ならお盆のお参りの時に直接、このようなお話もできればよいのですが、限られた時間の中で詳しくお経のお話まですることは困難なため、このような形でお話させていただきます。
真言宗 一心寺 お盆のお経
帰敬文(ききょうもん)
南無十方佛
南無十方法
南無十方僧
南無大悲観世音菩薩
発菩提心真言
「清らかな信心をおこして、無上の菩提を求む」
オン ボウヂ シッタ ボダハダヤミ
三遍
三昧耶戒真言
「み仏の慧命(いのち)を相続し奉らん」
オン サンマヤ サトバン
三遍
七仏通誡偈
諸悪莫作(しょあくまくさ)
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)
意味は、
「もろもろの悪いことをなさず、もろもろの善い行いをなし、自らの心を浄らかにすること。これがすべての仏の教えである」
というものです。
四智梵語讃
法要の場に、金剛界曼荼羅に描かれる仏さまたちをお迎えし、その功徳によって道場を整え、仏さまの徳を讃えるためにお唱えします。
「四智梵語」とは、大日如来が持つ四つの清らかな智慧を、サンスクリット語(梵語)の響きによって讃えるものです。
百字の偈
菩薩勝慧者 乃至尽生死
恒作衆生利 而不趣涅槃
般若及方便 智度悉加持
諸法及諸有 一切皆清浄
欲等調世間 令得浄除故
有頂及悪趣 調伏尽諸有
如蓮体本浄 不為垢所染
諸欲性亦然 不染利群生
大欲得清浄 大安楽富饒
三界得自在 能作堅固利
佛讃
読経時間の都合により、省略することもあります。
これまでのお勤めを終えるにあたり、仏さまの徳を讃え、感謝を表します。
般若心経
諸真言
不動慈救呪
地蔵菩薩
観音菩薩
大日如来
光明真言
御法号
南無大師遍照金剛
回向文
願わくは この功徳をもって
あまねく一切に及ぼし
我らと衆生と皆ともに
仏道を成ぜん
祈願
家内安全、身体健全、交通安全など、そのご家庭に応じて祈願いたします。
合掌
お盆のお経は、一つの流れになっています
このお勤めは、いろいろなお経を順番に読むだけではありません。
大きく見ると、
仏さまに心を向ける
↓
仏さまの教えを求める
↓
自分自身の心を整える
↓
仏さまの智慧と慈悲を讃える
↓
仏さまの教えを学ぶ
↓
さまざまな仏さまの功徳をいただく
↓
その功徳をご先祖さまや故人に回向する
↓
最後には、すべての人々のために願う
という流れになっています。
それぞれのお経には、それぞれの役割があるのです。
まず、仏さまに心を向けます――帰敬文
最初にお唱えするのが「帰敬文」です。
私は、お盆のお勤めの中にも、できるだけ「施餓鬼」の要素を取り入れたいという思いから、施餓鬼法要でお唱えしている帰敬文を、ここでもお唱えしています。
「施餓鬼(せがき)」とは、文字通りには「餓鬼に施す」という意味の法要です。
真言宗では、お盆のご供養において、特定のご先祖さまだけではなく、広く広く思いを拡げ、名前も忘れられてしまったご先祖さまや、無縁の仏さま、餓鬼道などで苦しむ亡者にも供養の心を向けることを大切にします。
少し想像してみてください。
私たち一人ひとりには、数え切れないほど多くのご先祖さまがいます。その中には、名前さえ今では分からなくなってしまった方々もおられるかもしれません。
だからこそ、お盆には「私のご先祖さま」だけにとどまらず、慈悲の心を大きく拡げて、あらゆる仏さまに「どうか安らかでありますように」と心を向ける。
それが施餓鬼の大切な心の一つなのです。
自分のご先祖さまだけではなく、名前も分からなくなったご先祖さま、無縁の仏さま、そして苦しみの中にある亡者にまで慈悲の心を拡げていく。
その思いを込めて、あらゆる方々を供養するために、大慈悲の仏さまである観世音菩薩さまのお名前を加えてお唱えしています。
南無十方佛
南無十方法
南無十方僧
南無大悲観世音菩薩
「南無」という言葉は、簡単にいえば「帰依します」「敬います」という意味です。
仏さま、仏さまの教え、そしてその教えを実践する人々に心を向け、さらに大慈悲の観世音菩薩を礼拝します。
つまり、
「これから仏さまの前でお参りを始めます」
と、自分自身の心を整えるところから、お勤めが始まるのです。
仏さまの教えを求める心を起こします――発菩提心真言
続いて「発菩提心真言」をお唱えします。
「菩提心」とは、仏さまの智慧を求め、仏道を歩もうとする心のことです。
これは、
「自分だけが幸せになればよい」
という心とは違います。
「仏さまの教えを学び、自分も少しずつ心を成長させ、できることなら人のためにも生きていきたい」
という心です。
お盆のお参りは、ご先祖さまや故人を思う時間ですが、同時に私たち自身が仏さまの教えに触れる時間でもあります。
そのために、まず「仏さまの道を求める心」を起こします。
仏さまの智慧を受け継ぐ心を確認します――三昧耶戒真言
次に「三昧耶戒真言」をお唱えします。
ここでは、仏さまの智慧や生き方を、自分自身も受け継いでいこうという心を確認します。
「慧命」と書いて「いのち」とお唱えするのも、この意味を大切にしているからです。
仏さまの教えは、ただ知識として覚えるだけではありません。
その教えを自分の生き方に生かしていくことが大切です。
ですから、
「仏さまの教えを、これからの自分の生き方にも生かしていきます」
という気持ちを整えていきます。
仏教の基本を確認します――七仏通誡偈
そして「七仏通誡偈」です。
諸悪莫作
衆善奉行
自浄其意
是諸仏教
「悪いことをせず、善い行いをし、自分の心を清らかにする。これが仏さまの教えである」
という意味です。
とても短い偈文ですが、仏教の基本を端的に表しています。
お盆は、ご先祖さまを供養する大切な時期です。
しかし、ご先祖さまを思うだけで終わるのではなく、
「自分はどんな生き方をしているだろうか」
と、自分自身を振り返ることも大切なのではないでしょうか。
ご先祖さまを思い、仏さまに手を合わせる。
そのことをきっかけに、自分自身の生き方も見つめ直してみる。
それもまた、お盆の大切な意味の一つだと私は考えています。
仏さまの世界を讃え、道場を整えます――四智梵語讃
次に「四智梵語讃」をお唱えします。
これは、金剛界曼荼羅に説かれる仏さまたちの智慧を、梵語の響きをもって讃えるものです。
真言密教の法要では、言葉の意味だけではなく、仏さまの徳を音声によって讃えることも大切にします。
このお経をお唱えすることで、これから行うお参りの場を、仏さまの世界とつながる「道場」として整えていきます。
普段生活している家の一室が、お盆のお参りの時間には、仏さまをお迎えする場所となるのです。
私は、この感覚をとても大切にしています。
菩薩の生き方を学びます――百字の偈
そして、私がこのお盆のお勤めの中でも特に大切にしているものの一つが「百字の偈」です。
この偈には、菩薩が生きている限り衆生のために働き続けること、智慧と方便によって人々を救っていくことが説かれています。
その中には、蓮の花にたとえた教えがあります。
蓮の花は泥の中から生まれます。
しかし、その泥に染まることなく、美しい花を咲かせます。
私たちの人生も同じです。
悩みや苦しみ、欲や迷いから完全に離れて生きることは簡単ではありません。
だからこそ、
その中にあっても、それに染まりきらず、智慧をもって生き、人のために力を尽くしていく。
そうした菩薩の生き方を、この偈は教えてくれます。
お盆という、ご先祖さまや故人を思う機会だからこそ、私はこの教えにも触れていただきたいと思っています。
仏さまを讃え、般若心経をお唱えします
その後、佛讃や般若心経をお唱えします。
佛讃は、これまでのお勤めの中で讃えてきた仏さまの徳に、改めて礼拝し、感謝を表すものです。
読経時間の都合によって省略することもありますが、お勤めを美しく締めくくる役割を持っています。
そして、皆さんにも馴染みの深い般若心経では、「般若」という仏さまの智慧について学びます。
私たちは普段、
「これは自分のものだ」
「こうでなければならない」
「自分はこういう人間だ」
と、物事を固定して考えてしまいがちです。
般若心経は、すべてのものがさまざまな原因や条件によって成り立っていることを見つめ、固定した見方にとらわれない「空」の智慧を説いています。
こうした智慧によって、私たち自身の苦しみや執着から少しずつ離れていく道を示しているのです。
さまざまな仏さまの功徳をいただきます――諸真言
続いて、不動明王、地蔵菩薩、観音菩薩、大日如来、そして光明真言などの真言をお唱えします。
仏教では、さまざまな仏さまが説かれています。
不動明王、観音菩薩、地蔵菩薩など、それぞれに象徴する徳や役割があります。
真言密教では、こうした仏さまの姿を通して、大日如来の智慧や慈悲がさまざまな形で表されていると考えます。
それぞれの真言をお唱えし、仏さまの徳を讃え、その功徳をいただきながら、ご供養を行います。
弘法大師に帰依します――南無大師遍照金剛
そして、
「南無大師遍照金剛」
とお唱えします。
これは弘法大師空海を敬い、帰依する言葉です。
真言宗では、弘法大師を単なる歴史上の人物としてではなく、今も私たちを導いてくださる大切な師として仰いでいます。
「南無大師遍照金剛」とお唱えすることには、
「弘法大師さま、どうか私たちを仏さまの道へ導いてください」
という願いも込められています。
最後に、功徳をすべての人へ――回向
そして、お勤めの最後に「回向文」をお唱えします。
願わくは この功徳をもって
あまねく一切に及ぼし
我らと衆生と皆ともに
仏道を成ぜん
意味は、
「今日のお参りによって生まれた功徳を、自分だけのものにせず、すべての人々に及ぼし、私たちも、すべての人々も、ともに仏さまの道を歩んでいけますように」
という願いです。
ここに、お盆のお勤めの大切なところがあります。
私たちは、ご先祖さまや故人のためにお経をお唱えします。
しかし、その功徳を「故人だけのもの」として終わらせるのではありません。
家族にも、友人にも、今を生きている人にも、そして亡くなった方々にも。
最後には、すべての人々へと功徳をめぐらせていきます。
お盆のお経は、故人のためだけのお経ではありません
こうして一つひとつのお経を見ていくと、お盆のお勤めがどのようなものなのか、少し見えてくるのではないでしょうか。
お盆のお経は、
「亡くなった方のために、お経を読んであげる」
だけのものではありません。
仏さまに心を向け、
仏さまの教えに触れ、
自分自身の心を見つめ、
仏さまの智慧と慈悲を讃え、
その功徳をご先祖さまや故人に回向し、
最後には、その功徳をすべての人々へとめぐらせる。
その一連の流れがお盆のお勤めなのです。
そして私は、お盆のお経をお唱えするとき、もう一つ大切にしている思いがあります。
それは、
「仏さまとなられたご先祖さまが、仏の境地と、そこに至るための教えを、私たちにも伝えてくださっている」
という思いです。
私は、お盆のお経を「私がご先祖さまのために読んであげている」とだけは考えていません。
むしろ、
ご先祖さまが、仏さまの教えを私たちに伝えるために、私の口を通してお経を説いてくださっている。
そんな気持ちも併せ持ちながら、読経しています。
そう考えると、お盆のお参りは少し違ったものに見えてくるのではないでしょうか。
亡き方を供養する時間であると同時に、亡き方から私たちが仏さまの教えをいただく時間でもあるのです。
そして最後に、祈願をします
回向を終えた後、私は最後に祈願をいたします。
家内安全、身体健全、交通安全など、そのご家庭に応じてお祈りします。
この祈願の言葉を聞いたとき、皆さまも心の中で、
「家族が元気でありますように」
「事故に遭いませんように」
「これからも無事に過ごせますように」
など、それぞれの願いを思い浮かべてくださっているのではないでしょうか。
実は、この祈願は私が皆さまの代わりに祈っているだけではありません。
私は、その願いを、ご先祖さまも、仏さまも願ってくださっているのだと思っています。
「家族が元気でありますように」
「どうか幸せに暮らせますように」
「事故や災いに遭わず、健やかに過ごせますように」
そう願う気持ちは、私たちだけのものではありません。
仏さまやご先祖さまも、きっと同じように願ってくださっている。
仏さまに手を合わせるとき、仏さま・ご先祖さまの願いと、私たちの願いは通じ合っている。
私はそんなことを思いながら、この祈願の言葉をお唱えしています。
ですから皆さまにも、祈願の言葉を聞きながら、
「仏さまも、ご先祖さまも、私たちのことを願ってくださっている」
と思っていただけたらと思います。
そして、その願いを心にいただきながら、これからの日々を、明るく、元気に、健やかにお過ごしいただきたいと願っています。
私が大切にしている、お盆のお勤め
長年、お盆のお参りを勤める中で、さまざまなお経を試し、考えながら、私は現在のお勤めの形にたどり着きました。
たとえ限られた読経時間であっても、
「今日、仏さまの教えに触れた」
と思っていただけるお勤めにしたい。
そして、ご先祖さまや故人を思うその時間が、同時に、今を生きている私たち自身の心を見つめる時間にもなってほしい。
普段生活している家の一室が、お盆のお参りの時間には、仏さまをお迎えする場所となる。
そこでご家族が集まり、亡き方を思い、仏さまに手を合わせる。
そして、仏さまの教えをいただき、その功徳をご先祖さまや故人へ、さらにはすべての人々へとめぐらせていく。
ご先祖さまを思う心から始まり、仏さまの教えに触れ、その功徳をすべての人々へとめぐらせる。
それが、私が一心寺のお盆のお参りで大切にしている、お経の流れです。
そして、皆さまが仏さまやご先祖さまに手を合わせるその時間が、これからの日々を生きていくための、ほんの少しの安心や力につながるなら、僧侶としてこれほど嬉しいことはありません。
合掌



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