真言宗のお坊さんは、お葬式で何をしているのか。〜私がこのブログを書こうと思った理由〜

葬儀・法事

三十五年以上、真言宗の僧侶として数多くのお葬式をお勤めしてきました。
ご遺族からよくいただくご質問があります。
「お坊さんは、お葬式で何をしているのですか?」
一見すると不思議な質問ですが、私はとても大切な問いだと思っています。
なぜなら、お葬式は多くの方が何度も参列されていても、その意味や、お坊さんが何をしているのかを詳しく知る機会は、ほとんどないからです。
だから私は、このブログで一つひとつ丁寧にお話ししていこうと思いました。
その前に、まず知っていただきたいことがあります。
それは、この三十五年ほどの間に、お葬式そのものが大きく変わったということです。

お葬式は、いつの間にか大きく変わりました。
私が僧侶になった頃、真言宗のお葬式、特に本葬では、二人から三人、多い時にはそれ以上の僧侶でお勤めすることが珍しくありませんでした。
導師は引導作法に専念し、脇僧が読経を担当する。
それが、ごく自然な形でした。
一般には、
「複数人のお坊さんにお勤めしてもらうと、それだけ功徳も大きくなる。」
そのように受け止められていたことも多かったように思います。
もちろん、そのような意味もあったのでしょう。
しかし、現場でお勤めしてきた私には、それだけではない、大切な理由がありました。

お葬式を、最後までお勤めするために。
私が若い頃、ご高齢の老僧とご一緒にお勤めをさせていただいたことがあります。
その時、その老僧から忘れられない言葉をいただきました。
「葬儀中にもしも私に異変が起きたら、あなたは私を引きずり下ろして、あなたが導師となり、私の代わりに葬儀を続行してください。」
当時の私は驚きました。
しかし今振り返ると、その言葉には、お葬式を途中で止めることは許されないという、僧侶としての強い責任感が込められていたのだとわかります。
導師に万が一のことがあっても、お勤めは最後まで続けなければならない。
だからこそ、複数の僧侶で支え合う体制が大切にされていました。
私はこの言葉を通して、お葬式に向き合う責任の重さを教えていただきました。

少し例え話をしてみます。
現在の旅客機は、原則として機長と副操縦士の二人体制で運航されています。
それは、一人では操縦できないからではありません。
「何があっても、お客様を安全に目的地まで送り届ける。」
その責任を果たすためです。
仏教では、「大乗」という言葉があるように、古くから仏の教えを「乗り物」にたとえてきました。
もちろん、旅客機とお葬式は同じではありません。
しかし、「故人を最後までお送りする」という責任の重さという点では、どこか通じるものがあるように、私は感じています。

時代とともに、お葬式も変わりました。
もちろん地域や寺院によって違いはありますが、私自身の経験では、
昭和の頃は三人以上。
平成の中頃までは二人。
そして平成後半から現在では、一人でお勤めすることが一般的になりました。
全国的にも家族葬の増加や葬儀の小規模化が進み、お葬式そのものが簡素化される傾向にあります。
それに伴い、お勤めする僧侶の人数も少なくなってきました。
お葬式にかけられる時間も、以前より短くなっています。
時代の変化として、それは自然な流れなのでしょう。
しかし、その変化によって、思いがけないことが起こるようになりました。

「なんやこの坊主、ブツブツぶつぶつ小っさい声で、頼りないなあ!」
一人でお勤めするようになった頃のことです。
真言宗では、導師が引導作法を行う時、故人だけに語りかけるように、小さな声、あるいは心の中でお勤めを進めます。
これは昔から変わらない作法です。
複数の僧侶でお勤めしていた頃は、その間も脇僧が朗々と読経を続けていました。
ですから、ご遺族やご会葬の皆様には、始めから終わりまで、お坊さんの読経の声が聞こえていました。
ところが、一人でお勤めするようになると違います。
引導作法の間は、会場が静かになります。
この静かな時間に弔電披露を行い、引導作法と同時進行で進める式次第を採られる僧侶も少なくありません。
しかし私は、お葬式の中でも最も大切な引導作法、とりわけ灌頂などの厳粛な作法と、弔電披露を同時に行うことには違和感があります。
そのため、私がお勤めする際には、弔電披露は開式前に済ませていただくようお願いしています。
ですから、引導作法の間は、会場全体が静まり返ります。


ある日、その静かな時間に、後ろの方からこんな声が聞こえてきました。
「なんやこの坊主、ブツブツぶつぶつ小っさい声で、頼りないなあ!」
その方は小さな声でおっしゃったつもりだったのでしょう。
しかし、その言葉は私の耳にも、はっきりと届きました。

その方を責めることはできませんでした。
その時、私は驚きました。
しかし同時に、
「そう思われても無理はない。」
とも思いました。
昔のお葬式をご存じの方にとっては、
始めから終わりまで、お坊さんがお経を唱えている。
それがお葬式だったからです。
一方、真言宗では、最も大切な引導作法ほど、静かに故人へ語りかけるようにお勤めを行います。
その意味をご存じなければ、
「何もしていない。」
そう見えてしまうこともあるでしょう。
その方が悪かったのではありません。
私たち僧侶が、お葬式で何をしているのかを十分にお伝えできていなかったのです。

だから私は、説明するようになりました。
それ以来、私はなるべくお通夜の法話や、お葬式の前に、これからどのようなお勤めを行うのかをお話しするようになりました。
「お葬式の中の引導作法は、故人だけに伝わるように、小さな声で、あるいは心の中で語りかけながら、様々なことを念じながら、静かに行います。
皆様から見ると、もそもそ動いているように見えたり、何もしていないように見えたりするかもしれません。
しかし、その時こそ、お葬式の中で最も大切なお勤めを行っています。
どうか、故人を見送るお気持ちで、静かに見守っていただければ幸いです
。」
そのようにお伝えすると、多くのご遺族が安心した表情を見せてくださるようになりました。

このブログに込めた願い
あの日の出来事は、私に大切なことを教えてくれました。
お葬式の意味は、知らなければ分からない。
分からないことは、不安にもなり、誤解にもつながる。
だからこそ、私たち僧侶には、お勤めをするだけでなく、その意味をお伝えする役目もあるのだと思います。
このブログでは、
「真言宗のお坊さんは、お葬式で何をしているのか。」
その一つひとつを、できるだけ分かりやすい言葉でお話ししていきます。
お葬式をするか、しないか。
仏教を信じるか、信じないか。
その答えを決めるのは、私ではありません。
ただ、もし選ぶのであれば、その意味を知った上で選んでいただきたい。
その願いを込めて、このシリーズを書いていこうと思います。

このシリーズは、お盆が終わったら、綴っていきたいと思います。


合掌

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