《お盆について 追記》「形よりも、心が大事」──だからこそ、儀式や形式を大切にしたい

お盆

【形式とは、人々の心が積み重なって生まれたもの。】

これまで私は、お盆についての記事の中で、

「形よりも、心が大事です。」

ということを繰り返し書いてきました。

今でも、その考えに変わりはありません。

お盆飾りが立派であることよりも、ご先祖さまを思う気持ち。

高価なお供え物よりも、「おかえりなさい」と手を合わせる心。

お盆で本当に大切なのは、そうした目には見えない心なのだと思っています。

しかし、その一方で、ぜひ付け加えておきたいことがあります。

私は、「形よりも心が大事」と考えるからといって、儀式や形式、伝統を軽んじてよいとは決して思っていません。

時折、

「気持ちがこもっていれば、形式なんてどうでもいい。」

という言葉を耳にします。

もちろん、本当に心を込めて、自分なりの方法でご先祖さまや亡き方を偲んでおられる方であれば、そのお気持ちは何よりも尊いものです。

ですが現実には、この言葉を理由に、お墓参りにも行かない、お仏壇にも手を合わせない、お盆のお迎えやお見送りもしない──そうして何もしないままになってしまうことも少なくありません。

「心が大事」という言葉が、何もしないことの隠れ蓑になってしまっては、本末転倒です。

私は、儀式や形式というものを、そのようには考えていません。

形式は、人々の心が積み重なって生まれたもの。

迎え火や送り火。

お仏壇へのお供えやおまつりの仕方。

お葬式や様々な仏事。

これらは誰かが思いつきで作った決まりごとではありません。

ご先祖さまを大切に思い、亡き方を偲び、仏さまを敬いながら、多くの人々が祈りを重ねてきた結果として、今日まで受け継がれてきたものです。

つまり、儀式や形式とは、先人たちの祈りや慈しみの心が形となって残されたものなのです。

これは古来より伝わる様々な伝統儀式のすべてに言えることです。

だから私は、

心を大切にする人ほど、形式や伝統もまた大切にする。

そう考えています。

もちろん、形式だけを守ればよいというものではありません。

心のない儀式は、ただの作業になってしまいます。

しかし同じように、形式を失った「心」は、忙しい毎日の中で行動にならず、いつしか忘れ去られてしまうこともあります。

だからこそ、昔から受け継がれてきた作法には大きな意味があります。

「どうすればよいか分からない。」

そんな時には、どうか先人たちが残してくださった儀式や伝統を大切になさってください。

そこには、私たち一人では思いつかないほど多くの祈りと知恵が込められているからです。

私は、

「古いから守る」のではない。

そこに、人々の祈りが積み重なっているから大切にする。

そのような気持ちで、仏教の儀式や日本の伝統を大切にしています。

心と形は、決して対立するものではありません。

形があるから心が育ち、心があるから形に命が宿る。

今年のお盆も、どうかご先祖さまへ手を合わせ、「おかえりなさい」と語りかけてみてください。

その一つひとつの所作が、未来へと受け継がれていく新たな祈りとなり、また次の世代へと伝統をつないでいくのだと、私は信じています。

合掌

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