【葬送のフリーレン】「必死に生きてきた人の行き着く先が、無であっていいはずがありません。」──ハイターの祈りと、仏教が見つめる死後の世界

漫画・映画と仏教

「必死に生きてきた人の行き着く先が、無であっていいはずがありません。」 (出典:『葬送のフリーレン』)

『葬送のフリーレン』は、「魔王を倒した後」の世界を描いた物語です。
長い旅を終えた勇者ヒンメルは、やがて老いてこの世を去ります。
長寿のエルフであるフリーレンは、その別れをきっかけに、「人を知る旅」へと歩み始めます。
この作品には、亡き人を思う気持ちや、命の意味、そして残された人がどのように生きていくのかが、静かに、そして丁寧に描かれています。
その中でも、私が特に心を動かされたのが、僧侶ハイターのこの一言でした。
この言葉は、魔王討伐の旅の途中、犠牲となった人々へ祈りを捧げるハイターに対して、アイゼンが「死んだら無に帰るだけだ」と語った場面で返された言葉です。
短い一言ですが、人の生き方や祈り、そして死後について考えさせられる、とても美しい言葉だと感じています。

「生臭坊主」と呼ばれた僧侶
ハイターは、お酒が大好きです。
怠けることもあります。
フリーレンからは「生臭坊主」とからかわれることもあります。
決して、絵に描いたような聖職者ではありません。
それでも私は、彼こそ本当に素晴らしい僧侶だと思います。
旅の中では仲間を支え、旅を終えた後も人々のために祈り続けます。
戦災孤児だったフェルンを引き取り、愛情を込めて育てました。
そして年老いてなお、多くの人を励まし、優しく包み込むような言葉を残します。
完璧だから聖職者なのではありません。
人を思い、祈り続ける心があるからこそ、聖職者なのだ。
私は、そんなことをハイターから教えられた気がします。

「証明」ではなく、「願い」
印象的なのは、ハイター自身が決して単純な理想主義者ではないことです。
彼は、神様や天国の存在が、人間にとって都合の良い願いなのかもしれないと理解しています。
それでも、
「必死に生きてきた人の行き着く先が、無であっていいはずがありません。」
と言いました。
これは、死後の世界を証明しようとする言葉ではありません。
「そうであってほしい。」
という、人への深い慈しみから生まれた祈りなのだと思います。
だからこそ、この言葉は多くの人の心を打つのでしょう。

仏教もまた、「死は終わりではない」と説きます
真言宗でも、人は死んだらすべてが無になるとは考えません。
弘法大師空海は、この世界そのものを大日如来のいのちが満ちる世界として説かれました。
その教えは後に覚鑁上人によってさらに深められ、現代の真言宗では「密厳浄土」という言葉で語られます。
また、多くの方が親しまれている西方極楽浄土の教えや、弘法大師のお導きを願う兜率浄土信仰も、大切に受け継がれています。
もちろん、それぞれの教えには深い意味があり、一言で語り尽くせるものではありません。
しかし、共通していることがあります。
それは、
「死は存在の終わりではない。」
ということです。
姿は変わっても、命は無意味に消え去るものではない。
私は、そのように受け止めています。

私が、この言葉に共感する理由
私は僧侶として、多くのお見送りをしてきました。
ご家族が故人に語りかける姿。
静かに涙を流しながら手を合わせる姿。
何度もその場に立ち会ってきました。
そのたびに思うのです。
もし死が本当に「無」でしかないのなら、人はこれほどまでに祈るでしょうか。
これほどまでに故人を思い続けるでしょうか。
私は、そうは思えません。
亡き方とのご縁は、死によって断ち切られるものではなく、形を変えて続いていく。
だからこそ、私たちは手を合わせるのだと思います。
これは教義だから信じているだけではありません。
多くのご縁と祈りに触れてきた中で育まれた、私自身の信念でもあります。

ハイターの祈りと、仏教の祈り
私は、ハイターの言葉を聞くたびに思います。
宗教とは、人を縛るためにあるものではありません。
証明できないことを押し付けるためにあるものでもありません。
「必死に生きた命には意味がある。」
その願いを、人から人へ受け継いでいく営みなのではないでしょうか。
だから、祈る。
だから、手を合わせる。
だから、亡き人を忘れずに生きる。
ハイターは、「死後の世界」を証明しようとした人ではありません。
大切な人を失った人の心を守ろうとした僧侶だった。
私は、そう感じています。
だからこそ、宗派は違っても、ハイターの祈る姿は、一人の宗教者として深く心に響くのです。

住職のひとこと
私は、「死後の世界」は、死を恐れさせるための教えではないと思っています。
それは、生き抜いた命が決して無駄ではなかったことを信じ、亡き人とのご縁が今も続いていることを受け止めるための教えではないでしょうか。
ハイターの
「必死に生きてきた人の行き着く先が、無であっていいはずがありません。」
という言葉には、その優しさと祈りが込められているように感じます。
私もまた、一人の僧侶として、その言葉に静かに頷きたくなります。

※この記事は、作品への敬意を込めて、一人のファンである僧侶が感じたことを綴ったものです。作品の解釈は人それぞれであり、本記事はその一つの受け止め方としてお読みいただければ幸いです。

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