彼岸へ向かうということ
――智慧によって、ものの見方が変わる
ここまで、お彼岸について、いろいろな角度から考えてきました。
太陽。
夕陽。
先祖供養。
阿弥陀如来。
大日如来。
六種供養。
六波羅蜜。
そして十善戒。
では、これらは最終的に何を目指しているのでしょうか。
その一つが「智慧」です。
六波羅蜜の最後に置かれている「智慧波羅蜜」です。
智慧とは、知識を増やすことではありません
仏教でいう「智慧」は、単にたくさんの知識を身につけることではありません。
物事を正しく見つめ、迷いや執着にとらわれず、ものごとの本当の姿を見抜いていく智慧です。
私たちは、同じ出来事を経験しても、それをどう見るかによって、心のあり方が大きく変わります。
たとえば、思い通りにならない出来事があったとき、
「どうして自分ばかり」
と思うこともあるでしょう。
けれども、少し時間を置いて振り返ってみると、
「この出来事があったからこそ気づけたことがあった」
と思えることもあります。
もちろん、苦しい出来事そのものが消えるわけではありません。
智慧とは、出来事そのものを都合よく変える魔法ではありません。
その出来事を見る私たちの眼差しを変えていくこと。
そこに、仏教の智慧の大切な働きがあります。
「新しい自分」になるのではなく
仏教というと、
「今の自分を変えて、新しい自分にならなければならない」
と思う方もいるかもしれません。
しかし、真言密教の「即身成仏」という教えを考えると、少し違った見方ができます。
私たちは、何かまったく別の人間にならなければ仏になれないのではありません。
この身このまま、今ここに生きている自分の中に、本来具わっている仏の智慧に目覚めていく。
それが「即身成仏」という教えの大切なところです。
だから、
「新しい自分になる」のではなく、「本来具わっている仏の智慧に目覚める」。
このように考えることもできるのです。
般若は「仏母」
ここで、般若の智慧について、もう少し考えてみましょう。
『般若心経』には、
「三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提」
とあります。
過去・現在・未来の仏たちは、般若波羅蜜多によって、この上ない悟りを得たという意味です。
つまり、仏さえも「般若の智慧」によって悟りに至るのです。
だからこそ、般若は「仏母」、すなわち「仏を生み出す母」とも呼ばれます。
弘法大師空海は『般若心経秘鍵』の中で、
「覚母の梵文は調御の師なり」
と説いています。
般若は、ただ知識を教えてくれるものではありません。
私たちを迷いから導き、仏の智慧へと向かわせてくれるものなのです。
文殊の利剣
仏教では、智慧を象徴する仏さまとして文殊菩薩が知られています。
文殊菩薩が手にする「利剣」は、煩悩や迷い、私たちの勝手な思い込みを断ち切る智慧を象徴しています。
一方、般若菩薩は「仏母」として、仏を生み出す智慧を象徴します。
「断ち切る智慧」と「育み、生み出す智慧」。
表現は違っても、どちらも私たちを迷いから智慧へと導いていくものです。
ここまで生きてきた命を大切にする
そして、智慧について考えるとき、私はもう一つ大切なことがあると思っています。
それは、
「ここまで生きてきた自分の命を大切にする」
ということです。
私たちは、ときどき自分自身を粗末にしてしまいます。
失敗した。
もっと頑張らなければならない。
こんな自分ではだめだ。
そんなふうに、自分自身を責め続けてしまうことがあります。
けれども、今ここにいる自分は、今日までの人生を生きてきた自分です。
うれしかったこともあったでしょう。
悲しかったこともあったでしょう。
誰かに支えてもらったこともあったでしょう。
誰かを支えたこともあったでしょう。
それらすべてを抱えて、今ここにいる。
だからこそ、
「ここまでよく生きてきたな」
と、自分の命を少し大切に見つめてみる。
それもまた、智慧の入口なのではないでしょうか。
「彼岸」は、死後に行く場所だけではありません
ここは、宗派によって少し捉え方が異なるところでもあります。
浄土系の教えでは、彼岸を西方極楽浄土と結びつけ、阿弥陀さまの極楽浄土への往生を願うという理解があります。
一方、真言密教では、彼岸を単純に「死んだ後に行く遠い世界」と考えるのではありません。
真言密教には「即身成仏」という大切な教えがあります。
この身このまま、仏の智慧に目覚めていく。
そして、大日如来の浄土である「密厳浄土」も、遠いどこかにある世界としてだけではなく、私たちが生きているこの世界を、仏の智慧と慈悲によって浄土へと荘厳していくという方向から捉えることができます。
ですから真言宗のお彼岸では、
「今この人生の中で、智慧の方向へ歩み、仏さまの世界を少しずつ実現していく」
という意味を大切にしたいと思います。
一心寺の秋のお彼岸のお勤め
では、実際のお彼岸のお勤めでは、どのようなお経をお唱えしているのでしょうか。
一心寺では、秋のお彼岸のお勤めの際に、こちらの「仏前勤行次第」を用いて、さまざまなお経や真言をお唱えしています。

このお経本の中には、懺悔文、三帰・三竟、十善戒、発菩提心真言、三摩耶戒真言、般若心経、諸真言、光明真言、観音経などが収められています。



先ほどお話しした「智慧」ということを考えるとき、『般若心経』は私たちにとって、とても大切なお経の一つです。
そして、お彼岸には夕陽を
ここまでお話ししてきたことを、最後に一つの風景に重ねてみたいと思います。
それが、夕陽です。
お彼岸のころ、太陽はほぼ真西に沈みます。
西には、阿弥陀如来の極楽浄土があります。
西に沈む夕陽を観想する「日想観」という修行もありました。
そして真言宗の私たちにとっても、阿弥陀如来は大切な仏さまです。
密教では、大日如来と阿弥陀如来との深い関係が説かれ、阿弥陀如来もまた、大日如来の衆生救済のはたらきが現れた仏さまとして捉えられてきました。
だからこそ、西に沈む夕陽を眺めながら仏さまを思い、自分自身の心を振り返ることには、真言宗の私たちにとっても大切な意味があります。
難しいことをする必要はありません。
夕陽を眺めながら、
「昔の人も、この夕陽を見て仏さまを思ったのかな」
「私は今、どちらの方向へ歩いているのかな」
と、ほんの少し考えてみてください。
お墓参りをして、亡き人を思う。
仏さまに手を合わせる。
お花や香、灯明を供える。
その供養を通して、六波羅蜜を思い出す。
十善戒を心掛け、自分の心と行いを振り返る。
そして、智慧の方向へ、また一歩歩いてみる。
それがお彼岸なのだと思います。
彼岸とは、どこか遠くへ行くことではない
彼岸とは、どこか遠くにある場所へ行くことだけではありません。
今ここにいる自分が、智慧の方向へ少しずつ歩いていくこと。
そして、その歩みの中で、
「ここまで生きてきた自分の命も、大切にしてみよう」
と思えること。
それもまた、彼岸へ向かう一歩なのではないでしょうか。
今年のお彼岸には、ぜひ夕陽を眺めてみてください。
亡き人を思い、仏さまを思い、そして自分自身を振り返る。
ほんの少し立ち止まって、自分の歩いている方向を確かめる。
そんな時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。
合掌

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